やさしい野生時間~芯と軸から生まれたもの
ブログのタイトルを変更しています。
「やさしい野生時間」に変わりました。
引き続き、よろしくお願いいたします。
これは、4年くらい前にアメブロを書いていた時に使っていた、大好きなタイトルでした。その後も「続・やさしい野生時間」として他のブログで書いていたこともあるくらいです(^^)/
今日の写真は、ちょうど2年前、貴船神社にお参りした時のものです。
心を洗われるような自然の中を流れる水にとても魅かれるので、忘れがたい場所です。
数日前から、もういちど「やさしい野生時間」にしてみたい。
の思いが高まって、今日わたしの願いを大切に叶えてあげたのです。
自分の思いを自分が大切にくみ取って叶えてあげる。
そんなことも出来るのです。
野生の前に、“やさしい” とつけた真意はなんでしょう?
ワイルドがお好みですが、めっちゃワイルドすぎる、ハードなやんちゃはわたしにはあまり不向き・・・例えば狩猟ですとか。
これは、趣味の方がいますけれど、「わたしのワイルド」はそれとは少し違っていてですね。
わたしが魅かれるのワイルドは、ワイルドな中に女性的なやさしさがあるんです。
やさしさといっても、ふわふわした上辺のものだけではないですよ。
そして、女性的なやさしさといっても、女性しか持っていないものとも違います。
他のいのちを気遣うやさしさは、女性的な柔らかさはあるけれど、それは男女、どちらの性にも関係なく、持ち合わせている尊いものだと認識しています。
そしてやさしさは芯があってこそ、初めて生まれるものだと信じています。
自分の芯、自分の軸。
それがあって、初めてやさしい気配が生まれてきます。
人にも、環境にも、生きものにも配慮した生き方。
それは、やさしい生き方です。
いのちが、自然がすこやかであってほしいという、他への気遣いや願いから発する生き方ですので、それはやさしい。
やさしい、って簡単そうだけど、決してヤワではありません。
本当にやさしい生き方には、芯と軸が必要です。
長くなりました(^^)/
「やさしい野生時間」
のタイトルを再び選んだ深い理由を、自分なりに探れた今日のブログでした。
2年前の今日、京都・貴船神社での短冊への願いです。
わたしの願いは、未来永劫変わらないのだろうなあ。
今日は2年前の写真ばかり、となりました。
2年前の7/20は、一つの節目だったので、振り返り、ここからまた先に進みます。
今日の朝、キレイなターコイズブルーが入った羽を持った蝶が道に羽を落としてじっとしていました。
「こんな場所にいると、踏まれちゃうよ」と思って、羽に軽く触れると、かすかに羽を動かします。
だけど、もう短い一生を終えようとしているのでしょう。
察したので、通路のコンクリートの上のその蝶を、そっと日陰の土の上にのせてあげました。
生きものがいのちを終える場として、そのほうがふさわしいように思えた本能です。
この蝶から、ひとつのいのちを終える、ということを肌感でしんみりと、でも深みを持って感じた夏でした。
それは静かな、自然なリズムとしていのちを終えることに対してまったく抵抗のない、無常の受け入れを感じた蝶の終わり方でした。
美味しいものがあるからこそ頑張れる、
これも変わらないであろう( ̄∇ ̄;)
いのちがいきいき、のびのびと幸せでありますよう、祈ります。