明治神宮の朝、杜に差し込む太陽のオレンジ
今朝は昨夜のうちにあった雨のせいか、湿気も多かったのでしょう。ごくうっすらとした、霧のようなものもかかっている気配の朝でした。
そんな気象条件の朝、森に出向くとこういうことも起こるのかと思いますが、朝の太陽の光の力はこんなにすごいよ、が目に見える理科の実験みたいです。そしてここは森というか、杜です。明治神宮の参道ですので、いっそう、おごそかな気分になるのです。
例えば悩みがあったり、すこしゆううつな気分の朝であっても、どうでしょう、この朝の東から昇る、ぐんぐん真新しい一日の光のちからに、希望の光を感じます。「大丈夫かもしれない、大丈夫」そう、自分に話しかけている自分に気が付きます。
太陽があるから、生きることが出来るのかもしれない。そんなことまで思い起こしてしまうくらい、神宮の杜に差し込む朝の光のビームはおごそか感がありました。
前を歩く人の背中にその太陽の光があたって、オレンジ色に暖かく、あかるく光り輝いたとき、なんともいえない生命力の源のようなものがそこに注ぎ込まれたような印象がありました。
まさに、僕らはみんな生きているー
どうせ同じ生きているんだったら、だれかとか、犬でも猫でも小鳥でもいいのだけど、だれかのいのちをピカッと照らしたり、温めたりする冬や晩秋の太陽のような自分でいたい。もはやそれだけでもいい気がする。
生きている意義、なんらかになんとなく役立った生きた証として。欲張りすぎずに。そういう生き方には120パーセントの意義があるんじゃない?とも思えてならない。
わたしが、わたしが・・・の噴出は、やはり存在の所作としてうつくしくない。と思っておるところです。
ね、ぜったいだいじょうぶ!!感のある太陽が差し込みました
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