やさしい野生時間

いのちがのびのびしている世界につなげたい~保健師・Nurseのブログ

去年のわたしと現わたし ~冬至に。

ちょうど1年前頃、50歳のわたしは修士論文の審査を受けていました。何人かの先生方の前で、修士論文を発表して質疑応答の時間があるのです。

その時に先生方からいくつかの質問や修正点の助言があって、その後は論文合格を目指して、いただいた内容で修正をはかっていくという地道な作業に、しばらく夜や休日の時間を費やしました。

わたしの修士論文は、コロナもあり感染症対策で研究計画を人と接しない方法に変更したこともあって、調査の開始が予定より遅くなり、論文も本当にギリギリで提出でした。


提出期限近くに同期のみなさんがやっている情報交換や励ましのためのLINEがピコピコ聞こえる中、まったくそこに参加する余裕もなく、必死にキーボードを打ち込んでいました。
「多分がんばってるからLINE来ないんだろうなー」と思っていたと聞きました。そうですともー。


その必死さといえば、刺すように冷え込む夜、かじかむ手でキーボードを打っているのですが、すぐ隣にあるカーボンヒーターのスイッチを入れる、エアコンのリモコンを押す、という動作すらする余裕がないのです。まったくもって、この時ほどこんなに切羽詰まった心の状況になったことは、人生初とも言えそうです。

とにかく、寒いよう~と思いながらも、スイッチすら入れる余裕もなく、なんとか期限日間際に提出することが出来ました。先生のご指導の賜物でもありますが、人生初体験の論文でした。50代に入ってからの人生初体験づくしの修士課程でした。それが1年前のわたしです。


もう、自分と誰かと比べるというのは何か違和感がありますし、第一まったく同じような境遇の人もそんなにいるわけではないので、そうそう比べようもありません。唯一比べると有意義なんじゃない?と思えるのは、少し前の自分と今の自分です。

1年前の自分、2年前、3年前の自分といまのわたし。あの時よりもほんのちょっとでも生きるのに賢くなって、前は出来なかったことも、そういえばいつの間にか出来るようになっている気がする。少なくてもあの時より退化はしていないだろう、と。そんなふうにたまに振り返って、自分の前進のための栄養するのもいいな、と思うんですよね。


さて、今日は冬至です。これから太陽の力が復活して、陽が1日1日長くなるという節目の日です。
来年の冬至の日に、わたしはどんなことを考えているのでしょう。1年前はぜんぜん予想もしていなかったこともある現在の状況です。

先のことはあまり細かく予定しすぎても、私の場合それが細かいことほどその通り行くことは少ないのです。だいたいそもそものパーソナルがどうも大雑把ということもあります。なので、1年後のことは「目標に確かに向かって、わずかでも前進している」ことにフォーカスの旗を立てて、目標にします。

目標はもっとも大カテゴリ的なところでいうと、「自分を生かしていのちの役に立てるようになる、そのための道が開ける」です。大きな目標を見ながら、毎日はほんとうにコツコツ、小さなことを続けながら進みたい。そこでカフェ時間や小さなお楽しみごとがコツコツつづけるための滋養になっていますよ。

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